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人間ていいな アーカイブ

dimanche 30 mars 2008

対談

おととい、写真家の女の子に会いました。
今度のフランス語本のなかで、
ちょっぴり写真をお手伝いしてもらう子。

彼女は話すとき、すごく考えながらことばを紡ぎ出すのです。
それは決してイヤな時間ではなく、
彼女の真心からのことばを待つ楽しい時間。

彼女は自分だけのことばでしか話さないのです。
気どったりつくったり、そういうことでは全然なくて
それがとても自然なことに感じられるひと。


その彼女がこんなことをいっていました。

「過去を編集する作業をしているんです。」

過去を編集する・・・
すごくステキなことばだと想いました。


今までの人生という作品を、
自分で自分に必要なものを大切に「編集」していく。

そんなイメージが浮かんで・・・


片づけるのやめんどくさいことが嫌いなわたしも(次元が低いですが)
自分の身の回りや状況を編集して、
作品にしていくと思えばとってもクリエイティヴな作業!

お引っ越しの準備に取りかかるのに腰が重かったけど、
日本での自分を編集して、また新しい生活を作り上げる。

そう思ったらなんだか楽しくなってきました。


おとといもてた彼女との時間はとても実りあるものでした。
(勝手にふたりで『対談』とよんでました)

そんなひとつの大切な出会いに感謝しています♪

jeudi 20 décembre 2007

ぽってぃんの家出。

ぽってぃんが家出してから、もうひと月以上になる。

フランスに行っていた期間も合わせれば、
もう2か月近くいっしょに暮らしていない。

ここになにも書けなかったのは、
そのあいだにいろいろなことがありすぎたから。

まさかわが家に家族崩壊の危機が訪れるとは。
わたしはずっと、まちがってたんだなって自分を責めてばかりで。


でもなぜか、体調はものすごくよくって・・・。
まだまだな部分もたくさんあるけど、
ほかのひとたちには「当たり前」にできていることが
ひとつひとつできるようになっていくのって、すごくうれしい。


それでも娘はいう。
社会人なんだから、当たり前のことをして威張るな、と。

それももっともだと思う。
彼女が出ていったのは、わたしが何もしなかったから。
出来なかったとはいえないんだろうな。

わたしといると疲れるのだそうだ。
そりゃそうだ。
本人が自分に振り回されて粉々になってるんだから
他人が耐えられるわけがない。
どれだけ心配や迷惑をかけてきたんだろうとおもうと
一生かけてもつぐなえない・・・想像もできないくらいだ。


もうそろそろ、本当にいなくなりたいと思った。
自分の産んだ娘に自分の存在を否定されることほど
つらいことはない。
つらいということばが大嫌いでも、心底つらかった。

アントワーヌの励まし、どんな温かいことばも
その場しのぎの慰めにしか聞こえなくなっていた。
病院に行く気力さえ、もうなかった。


母とアントワーヌは
そんなわたしを見てクリニックにひきずっていってくれた。

先生はこういった。

「あなたは家事や身の回りのことはひどく出来ないけれど
 そのぶん仕事でのがんばりは飛び抜けているんです。
 寝る間も惜しい、何日も寝てないなんていうのはふつうじゃない。

 ふつうのひとは六角形であらわすならきれいな六角形で
 でもあなたの場合はこんなふうなんです。
 (とトンガリとヘッコミが極端にでこぼこな星形をペンで書く)
 そして、病気によってそれが縮んでこんな風になっている。
 (ときゅうっとちぢこまったちっちゃなでこぼこを星形の中に書く)

 これをきれいな六角形にすることが治療ではないとぼくは思うんです。
 本来の○○さん、つまりこの形(大きな星形を指す)に
 もどしていってあげることが治療なんです。

 アーティストであることが悪いとはぼくは思わないんです。
 今まではどうにかふつうにしようとがんばってたと思うけど、
 ヘタに家事をしようなんて思わないほうがいいよ。
 突き抜けちゃってる○○さんが本来の○○さんなんだから、
 どーんと突き抜けちゃった方がいいんだよ。

 お母さんや娘さんはね、この六角形なんですよ。
 だから、○○さんのでこぼこが理解できないの。
 でもそれは、それぞれの生き方なんだから、
 お互い理解できなくて当たり前なんです。

 いっしょに暮らしていなくて体調がいいのなら、
 それが本来の姿なのかもしれないんだから
 別々に暮らすっていうのもありなんじゃないかなぁ。

 ○○さんが好きなことで突き抜けちゃって
 それが結果になったとき、やっと納得するんだと思いますよ。」


この先生のことばには本当に救われた。
だから、もし同じようにまわりと合わせられず悩んでるひと、
自己否定しているひとがいたら読んでほしいと思って書いた。

ずっと苦しんできたことが
わたしにとってはふつうのことだったんだ、って思えたから。
一生懸命、まわりの「ふつう」に合わせようとして
無理に自分を変えようとしてきたんだって思う。

こういっても、「ふつう」のひとたちには
「甘えている」ようにしか聞こえないのだろうか。


でももう、そんなのどうでもいい。
先生と、少なくともアントワーヌは理解してくれている。
涙が止まらなくなるくらい、心にしみた。

わたしが仕事に夢中のとき、家事や片づけをやってくれる。
自分も働いているのに、わたしを100%助けてくれている。
打ち合わせ合宿でばたばた動いているときも、
買い出しに行ったりコーヒーを煎れてくれたり、
本当にアントワーヌには感謝してもしきれない。

今までやってきてくれたぽってぃんにも母親にもそうだ。
申し訳ないと後ろめたい気もちばかりだったから
感謝の気もちを忘れていたんじゃないかなぁ。


今は仕事もガンガン進んでいる。
苦痛でもなんでもないし、外にも出かけられるようになった。

また、でこぼこだらけだけどもとの自分を取り戻せるかもしれない。
突き抜けて、結果を出して、それから・・・
いつかみんなに恩返しするんだ。

mardi 9 octobre 2007

大好きな Zouzou ♪

昔、John Lennon Museum のカフェがまだ存在していたころ、
そこで働いていたことがある。

同期のバンビちゃん(仮)と
ちょっと早くから働いてた Zouzou(仮)とはなかよしだった。
よくうちにあそびに来てくれた。
実は、メールしているときに Zouzou
わたしのメルアドに ChibiRu がついていることに気づいて
メールでかつてのわたしの作品を送ってきてくれた。

その話で盛り上がってたら、なんと
バンビちゃんもちがう作品を持っていることが判明。
世の中ってホント狭い。


それで、Zouzou がそのころ住んでいたおうちが
うちのばーちゃんちに行く通り道だったりして
音楽や服の趣味も似てたりして、年がひと回りもちがうのに
なんだかんだつるんだりしてた。

アンちゃんが来たときも、いつも会いに来てくれた。
ぽってぃんも Zouzou ! と呼び捨てにして可愛がってた(?)


でも、今年のあたまから、全然連絡が取れなくなっちゃった。
メールも返って来ちゃうし、電話もつながらない。
えっと・・・もしかして、拒否られてる?
理由は分かんなかったけどすっごーく凹んだ。

わたせなかったパリみやげのマカロンの箱を眺めながら
アンちゃんとふたりで、泣きそうになってた。


ところが・・・!!!

mardi 18 septembre 2007

パリジャン・パリジェンヌは冷たい? <3>

2度目のパリ・リヨン・ディジョンはひと月滞在した

そのときわかった。
ここに住むひとびとは、とても正直で、親切なんだ。

頼みごとをしても、自分が最後まで責任をとれないことには
どんなに困っていても、親しくても、絶対に Oui. といわない。
ハッキリ「無理だ。」と答える。

でも、彼らがもし Oui. といったなら、
そのときは、最後の最後まで、とことん力になってくれる。
今まで知り合ったフランス人は、みんなそうだった。


ちょっぴりつき合っていた Nicolas は、
(アンちゃんのともだちとは別の Nicolas)
モンパルナスの駅で突然置き去りにされて別れたあとも
わたしがディジョンに発つ日の前夜には
「あの荷物をひとりでもてるのか?」と電話がかかってきて、
朝の8時に迎えに来てくれた。

準備ができてなくてギリギリになってしまったのに
でーっかいスーツケースと重いボストンバッグ、
両方もって TGV のホームまでいっしょに走ってくれた。


これはひとつの例だけれど、
そんなふうにとりあえず「いいよ。」っていうのができない
率直さと本当の意味での責任感が、
彼らを「冷淡だ」だとか「つっけんどんだ」と
思わせるのだろうか・・・なんてよく考える。

実際、フランスの雑誌でも、どこかの調査で
「フランス人が世界の中で冷たい国民ナンバー1に選ばれた」
なんて記事がでっかく表紙になっていたのを見かけた。


あそこには「お客さまは神さまです」なんて考えもない。
接客なんかも対等で、ぶっきらぼうだ。
日本のような、過剰なサービスはない。
サービスを提供する側・受けとる側というだけの話、お互いさまなのだ。
観光客であふれかえる有名ブランド店なんかは別として。


わたし自身、「オッケー!」といっておきながら
途中で無理になってドタキャンすることがよくある。
そのほうが、よっぽどタチが悪い。
2度目のパリ・リヨン・ディジョンはひと月滞在した。

そのときわかった。
ここに住むひとびとは、とても正直で、親切なんだ。

頼みごとをしても、自分が最後まで責任をとれないことには
どんなに困っていても、親しくても、絶対に Oui. といわない。
ハッキリ「無理だ。」と答える。

でも、彼らがもし Oui. といったなら、
そのときは、最後の最後まで、とことん力になってくれる。
今まで知り合ったフランス人は、みんなそうだった。


ちょっぴりつき合っていた Nicolas は、
(アンちゃんのともだちとは別の Nicolas)
モンパルナスの駅で突然置き去りにされて別れたあとも
わたしがディジョンに発つ日の前夜には
「あの荷物をひとりでもてるのか?」と電話がかかってきて、
朝の8時に迎えに来てくれた。

準備ができてなくてギリギリになってしまったのに
でーっかいスーツケースと重いボストンバッグ、
両方もって TGV のホームまでいっしょに走ってくれた。


これはひとつの例だけれど、
そんなふうにとりあえず「いいよ。」っていうのができない
率直さと本当の意味での責任感が、
彼らを「冷淡だ」だとか「つっけんどんだ」と
思わせるのだろうか・・・なんてよく考える。

実際、フランスの雑誌でも、どこかの調査で
「フランス人が世界の中で冷たい国民ナンバー1に選ばれた」
なんて記事がでっかく表紙になっていたのを見かけた。


あそこには「お客さまは神さまです」なんて考えもない。
接客なんかも対等で、ぶっきらぼうだ。
日本のような、過剰なサービスはない。
モノを提供する側・受けとる側というだけの話、お互いさまなのだ。
観光客であふれかえる有名ブランド店なんかは別として。


わたし自身、「オッケー!」といっておきながら
途中で無理になってドタキャンすることがよくある。
そのほうが、よっぽどタチが悪い。

もちろん、日本人でもナニ人でも、面倒見のいい人はいる。
でもやっぱり、それぞれ国民性や風習・文化や考え方に
ちがいがあるっていうのは事実。


「いいよいいよ!」なんてカンタンにいうことはできるけれど、
最後まで相手の未来に責任は取れるはずもない。

だから、そういうところでは、
フランス人っていうのは信頼できるひとびとなんだと思う。
もちろん、日本人でもナニ人でも、面倒見のいい人はいる。
でもやっぱり、それぞれ国民性や風習・文化や考え方に
ちがいがあるっていうのは事実。


「いいよいいよ!」なんてカンタンにいうことはできるけれど、
最後まで相手の未来に責任は取れるはずもない。

だから、そういうところでは、
フランス人っていうのは信頼できるひとびとなんだと思う。

lundi 17 septembre 2007

パリジャン・パリジェンヌは冷たい? <2>

パリのメトロの入り口には、そこここにとびらがある。

どんなに朝の忙しい時間でも、次のひとが通るまで、
パリのひとびとはドアを押さえて待っている。

結構距離があるな、ってときも、待っていてくれる。
とびらは後ろのひとにバトンのように渡され、
それが延々つづいている。

メトロに限らず、デパートでもブティックでも、
とびらがあれば、押さえて待っていてくれる。

それが条件反射なのかもしれないけれど、
わたしはこの「次のひとにバトン・タッチする」的な行為が好きだ。

日本ではあまり考えられないことだ。
もちろん、そういう習慣をもつひとたちも多いけれど、
すぐ後ろにいるのにバタンと閉められて、
とびらが鼻先をかすめてギョッとすることも少なくない。


本質的に、わたしはフランス人の国民性というか、
考え方が大好きだ。

初めてのパリ旅行では、最初の3日間はものすごくブルーだった
わたしが日本人だからって、バカにされている気さえした。
ことばも通じなかったし、プチ・パリ症候群だった。


でも、4日目あたりからかわってきた。
自分が日本人だからって、なんて考えるほうが差別じゃないか。

そう思ったらだいぶ気が楽になって、
お店に入ったり、ひとにものを尋ねるのがものすごく楽しかった。
お気に入りのブティックもできて、片ことでおしゃべりした。


つづく・・・

パリジャン・パリジェンヌは冷たい? <1>

パリのひとびとは冷たい。
あちらこちらでこんなことばを目にする。
本当にそうなのだろうか?

ある意味、そうなのかもしれない。


ある日、アンちゃんの来日中に電車に乗っていた。

ひとりのサラリーマンが、居眠りしていたのか酔っていたのか、
混雑している電車の通路で転がった。
まわりの男の人が3人がかりで起こすのを手伝っていた。
同僚でもなさそうだ。

転んだサラリーマンのおでこから血が出ていた。
メガネが片いっぽずり下がっていたから、それで傷つけたらしい。

「だいじょうぶです、だいじょうぶです、
 すいません、ありがとうございます。」

とサラリーマンは申し訳なさそうにしていたけれど
ひとりの男の人は最後まで手を貸しながら、電車を降りていった。


アンちゃんは、この事件にいたく感激したようだった。

「パリのメトロなんかでは、あんなひといないよ。
 みんな知らんぷりさ。」

「ええー?日本だっておんなじだよ。
 わたしが高校生のころ、立ったままいねむりして
 尻もちついたけど、みんなジロジロ見るだけだったよ。」


おなじく高校生だったとき。

朝の通勤ラッシュでパニック発作で倒れたときも、
目が覚めたら、スカートがめくれちゃってパンツ丸出しで
駅のホームでひっくり返ってたのに、
みーんな知らんぷりで足早に去っていった。

それから、満員電車に乗れなくなったのはもちろん、
途中で降りることのできない快速は、
どんなに遅刻しそうなときでもさけるようになった。


でも・・・。
そういえば、酔っぱらってるひとに手を貸したり、
貧血っぽい女性に声をかけているひとはたまに見かける。

わたしもいちど、過呼吸になりそうだったとき
スーツ姿のひとが心配してやさしいことばをかけてくれたので
気が楽になっておさまったことがある。

でも、パリにだっていい習慣はいっぱいある


つづく・・・

(おじいちゃんのことは、今日は書く気分ではないので
 またの機会につづきをかきます)

vendredi 14 septembre 2007

素敵な女性 M

そうそう、思いだしました。
ずっとここで書きたかったこと。

わたしは、ともだち M が大好きです。
尊敬する女性です。


彼女は5年ほど、パリに住んでいます。

でも向こうでいろんなことがあって、
いまは独り身なので、仕事も思うように見つからず
経済的に困難で、お金のトラブルに巻き込まれたり
はたから見るとすごく大変そうなのに、こないだ、
「フランス行きを迷ってるんだ」と相談したわたしに
彼女の口から出たことば。

  「でもね、やっぱりフランスはいいよ!
   KiKi も早くおいで!」


別に、彼女はパリに憧れていったわけじゃなくて
同じようにパートナーがフランス人、てだけのことだった。

でもそんな経験をしてフランスやフランス人の
いいところと悪いところ、どっちも目の当たりにしてるのに
「やっぱりフランスはいい!」
とさっぱりといえちゃう彼女はカッコイイと思う。
自分のおかれた状況に満足できるって、ある意味才能だよね。


わたしにはそれが欠けてるんだろうな。

dimanche 9 septembre 2007

みなさん、ご心配をおかけしました!!

(みなさんって、読んでくれてるひとは2〜3人だと思うけど)


木曜日、クリニックに行きました。

ぽってぃんは、悪夢やフラッシュバックなどでの
「再体験」がひどいようで、このままだと長期化してしまうから
薬物療法(安定剤)と認知行動療法などのカウンセリングで
しっかり定期的に治療していくといわれました。
それがうまくいけば、1年くらいで日常生活が可能になるそうです。

それから、ぽってぃんからも話を聞いているドクターは
わたしの診察のとき、平静を保てずにいるわたしを見て

「あなたの感情や娘さんへの愛情は極端すぎて
 お互いによくないから、すこし離れたほうがいいね。
 まずはあなた自身が回復することを考えないと
 どちらもよくならないし、共倒れになっちゃうよ。
 どうしても入院がイヤなら、ちょっと別々に暮らしてみるのはどうかな。」

といわれました。
薬もこれ以上は強いのを出せないっていうのを処方されて。

それで母親に、別居のことと入院のことを話しました。
鼻水ズーズー出しながら話したらスッキリしました。


そんなこんなで今はだいじょうぶ。

その夜だけってことでいっしょに過ごしたんだけど、
やっぱりぽってぃんと話してると楽しい!

バカ話でウヒャウヒャ笑って取っ組み合いして、
あざもすり傷も耐えないけど(ぽってぃんは女のコです)
そうやって体でいっぱい笑ったら元気になっちゃった。

ウツじゃなくって躁ウツかしら?


ちょっとね、修行の旅に出ようと思ってます。
旅っていっても瞑想くらいしかできないけれど。

実は、出家も真面目に考えて、お寺もいろいろ調べたりして。

でも目の前のことから
(とりあえずこの机の上にあるオロナミンCのふたとか
 輪ゴムとかへんなオマケとか、書けないペンとか吸いがらとか
 椅子のうしろにおっこっちゃったままたまってるブラジャとか)
そういうものから焦らず片づけていけば。

ちゃんとお母さんできなくても、毎日のウヒャヒャがあれば、
きっといつかは・・・


バカはバカなりに、グズはグズなりにがんばればいいのさっ。
ちょっとずつ子離れしながら、ね。


なんて・・・本当にご心配をおかけしました。ごめんなさい。

mercredi 30 mai 2007

心機一転だぞ。

まだそっけないデザインでゴメンナサーイ!


最近・・・ずっと人間離れした生活をしてて
ブログにコメントをいただいてもお返事もろくにせず
今まで仲よかったおともだちのブログを訪れたりもせず
リアルでも電話ではなしたり会ったりもせず・・・

そんな自分に嫌気がさしてて。


心機一転、こっちにおひっこしして、
昨日、ずっとコメントの整理とエントリの修正をしていました。

ブログで出会ったみなさんひとりひとりのコメントを読んでいて
おともだちのあたたかさ・大切さを痛感して
ひとりパソコンの前でおいおい泣いてしまいました。

ブログを一度やめてから連絡が途絶えちゃったともだちも、
わたしの無精のせいで、失ったともだちもいっぱい。
メールが苦手なのに、「メールするから!」といったきり
音沙汰がなくなっちゃったり・・・


でも、これからはね、大切にします。
無理な約束はしません。
もう信じてもらえないかもしれないけど。
もう忘れられちゃったかもしれないけど。

だから・・・もしここにきてくださったあなた。
また KiKi となかよくしてくださいね♪

どうぞよろしくお願いします。


KiKi

lundi 26 février 2007

原動力。

ふと、自分がなにに動かされて生きてるのか、考えた。


75%の喜怒哀楽と、17%の風まかせと、3%の計算。

喜怒哀楽はふとわいてくるものだから、
そうとう刹那的に生きてるんだなぁ・・・と思う。


神さまなんていない。運命なんてない。

もし神さまがほんとうにいるとすれば、
それは自分のこころのまん中の、いちばん深い深いところなんだと思う。
自分自身の、無意識の中で息づいている核の部分なんだ。

それが、想いを叶えるプラスのエネルギーを出したり
行く道を邪魔するマイナスのエネルギーを出したりしてるんだと思う。
自分のほんとうになりたいものに近づけるために。


だから、つよくつよく信じていれば
自分の迷いない想いのエネルギーがそうしてくれるんだ。
それは運命でもないし、ラッキーでもないと思うんだ。

まわりのひとにもそのエネルギーを飛ばせるような
いつもこころが元気な自分でいたいな。

dimanche 6 août 2006

ママン。

こないだ、アンちゃんがラザーニュ(ラザニア)を
うちで作ってくれたとき、メールで送られてきたママンのレシピを
みながら作ってたんだけど、急にお願いしたわりには
ずいぶんちゃんと書かれてるなぁ〜って感心して、

「ママンはレシピ・ノートを作ってるの?」と聞いてみました。

すると、思いもよらない答えが。

「うん、きみのために特別なノートをね♪
 ママンとぼくと、ふたりでノートを選びに行ってね。
 本当は、ぼくがくるとき一緒に持ってくるはずだったんだけど、
 ママンも仕事してるからさ、まにあわなかったんだ。」

ちょっとぉ・・・

これを聞いたときには、もう嬉しくて嬉しくて、
涙が止まらなくなっちゃいました。
なんて優しくてあったかいんでしょう、この家族。

ほんと、生きててよかったなぁ・・・

こないだふと、うちの母ちゃんがもらしました。

「お父さんが言ってたよ、アントワーヌ君のお母さん、
 いっつもいろいろフランスから花菜とあんたに送ってくれて、
 なかなかあんな寛容なご両親はいないよなぁ、って。
 『おいらだったらできねぇよなぁ・・・』っていってたよ。」

母ちゃんは、涙ぐんでました。
わたしも、涙ぐんでました。

父ちゃんは、あまりひとのことを誉めたことがありません。
だけど、父ちゃんもわたしにとってはすごいひとです。

若い頃、お金に困っていて机もなかったともだちに
バイトして机を送ったり、いまだに毎月必ずばあちゃんに
じゅうぶん暮らせるくらいの仕送りしていたり。
もちろん、自分ではそんなこと口にしないから、
ずっといっしょに過ごしてきた母ちゃんから聞いたこと。

わたしがまだ青かったとき。

「消しゴムの種類と消え具合」について口論となり、
(くだらない・・・)
父ちゃんと大喧嘩したあげく、啖呵きって本気で家出して、
都内で新聞配達の住み込みバイトを見つけたときなんか、
かばんの底にお札と小銭がじゃらじゃら入った封筒が。

メモには、母ちゃんの字で
「お父さんに、おまえが困らないように、
 家にあるお金全部持たせてやれ、といわれました。」と・・・

大泣きしながら5日ぶりに家に帰ったら、母ちゃんと妹と弟が、
わたしの部屋で、3人でトランプをしていました。

母ちゃんは、泣きはらした目にさらに涙を浮かべながら、
「3人じゃつまんないから、おまえもいっしょにトランプやろう。」
と・・・わたしも泣きながらトランプに混ぜてもらいました。


そんな口下手で短気だけど情の深い父ちゃんでさえ、
アンちゃんのご両親がそんなにもよくしてくれることに
感激してぼそっと母ちゃんにつぶやいていたのでした。


うちの両親は、わたしがバツ2で子持ち・病気持ちなのと、
なんども運命のひとだといっては男性を両親に会わせ、
ことごとく再婚作戦に失敗してたので、もう諦めてました。


だから、今回こそは、ことばは通じないけれど、
それでもほんとうにこころからアンちゃんを信頼し、
アンちゃん一家を尊敬しているようです。

アンちゃんは、むこうのご両親とうちの両親が会話できるよう、
みんなが楽しく結婚パーティーを過ごせるよう、
プロの通訳のひとを頼んでくれるそうです。

フランスのみんなから日本のわたしへ写真の贈り物はママンのアイディア♪ アンちゃんから大きい順に並んで、ママンの持ってるパネルには BISOUS pour CHIAKI のメッセージが・・・♪♪♪ 去年の夏、Chatellerault にて。

samedi 5 août 2006

Zizou のインタビュー最終回・・・

ちょっとお知らせ。

やっと Zizou のインタビューの日本語訳が終わりました。
いちばん最後の、彼が真剣に「人種差別」について語っている部分です。

もうかなり時間がたってしまったし、
ふたりの処分もされたわけなのですが、
この問題はまだずっとつづいていくと思うのです・・・


というわけで、お時間があれば、
いちばん読んでいただきたかったこの最後の部分、
ぜひ、読んでみてください。

とりあえず、お知らせでした。

mercredi 26 juillet 2006

オフ・・・会?

7月24日・・・

今日こそアキバ、って思ってたのに、
アンちゃんが寝たあと翻訳作業とかやってるうちに夜中の4時、
ぽってぃんはあと2時間で起こさなきゃなんないし・・・

今日こそアキバ、というプレッシャー・・・
やっぱり、行きたくないんじゃん、わたし!!

しかも、出品してる Amazon マーケットプレイスから
「早く発送してください」ってクレームが来て、
メーラーが壊れたままうまく直せないのでほっといて、
それからはずっと gmail つかってたんだけど、
そうだ、Amazon のほうの連絡用アドレス変えてなかった!!

と思いだして見に行ったら、注文たまってた!
ごめんなさい・・・古いのは6月29日、そりゃクレームも来ます。


こんなとこにだらしないの、本気で直さないと。
と朝の4時から納品書づくりに商品探し、梱包とバタバタ。
ぽってぃんを送り出したあと、ちょっと仮眠・・・
と目が覚めたらもう夕方・・・(涙)

昨日のこともあって、アンちゃんは我慢してくれてたらしい。
やさしくコーヒーの香りとともに起こしてくれましたが・・・
ほんっと、ごめんなさい!!


この日の夜は、フランス語のブログで知り合って、
ここにも遊びにきてくれるお兄さんとその彼女さんと待ち合わせ。

ふたりとも、フランス語の勉強してるし、
前から楽しみにしてておふたりも忙しい時間をさいてくれての
ランデヴーだから、絶対はずせない〜!


とりあえず歯を磨いてスッキリしようと、
もしゃもしゃしてるうちに「ん・・・?」なんかおかしい。

違和感を感じつつも、ごしょごしょしつづけ、
いつもみたいに、ベロも磨いた瞬間、思わず悲鳴を上げました。

歯ブラシにつけたのは、昨日買ってきた、
ニキビ予防(もちろんぽってぃん用)の洗顔フォームだった・・・
その後、小1時間ばかり、吐き気おさまらず。


前日に、ぽってぃんの部屋に麦茶をぶちまけ、
まな板と包丁を落として、まな板は足の親指に直撃、
骨折しちゃったくらいの痛みに雄叫びを上げ、
ちょうどわたしの数センチ横に刺さってくれた包丁を見て
ちぢみ上がり・・・はぁ。

だから、アンちゃんはこの歯磨きと洗顔フォームの取り違えを
ちゃんと予測してたらしい。だったら、警告とかしてよぉー!!

と、自分のバカさ加減への呆れとやりどころのない怒りが、
理不尽ながらも、まんまと予想どおりに事が運んだことに
ハラを抱えて大笑いするアンちゃんに向けられ・・・


でもね、ほんとにほんとに楽しい夜でした♪

オフで初めてのひとに会うのはひさびさだったから、
どんな雰囲気になるのか、楽しみだけどちょっと不安だったんだけど、
ほんとうに、初めてお会いしたとは(少なくともわたしは)
全然思えないくらい、おふたりとも素敵なひとたちでした!!!

アンちゃんも、サンパなおともだちができて大喜びだったよ。
電車の中でも、ずっとおふたりについて話してました♪

これについて書いたら、ものすごーく長くなりそうなので、
今日のところは軽く、ご報告まで♪♪♪

vendredi 14 juillet 2006

それぞれの想い。

TF1 での Zizou のインタビューのつづきです。
ここからどうぞ。

Nº1 よりも今回、今回よりもその次、
そして最後に彼はいちばん大切なことをいっているような気がします。


わたしがこうして細切れに出すのは、
すべての作業が終わってからでは遅い、と感じたからです。
憶測でいろいろな方向に飛躍しすぎている気がするからです。

ジダンの発言への誤解を生みそうで本当に申し訳ないのですが、
読んでくださるかたは、途中で結論を出さずに、
どうぞ最後まで読んでください。

マスコミのネタになりそうな部分だけ取り上げた
短い記事に踊らされず、彼自身のことばに耳を傾けてください。
今の時点では、なにも明かされていないのですから。

片方にはたいしたことがなくても、
もう一方には人間として絶対に許せないことがあり、
その逆もまたしかりだと思います。


わたしはジダンの発言ひとつひとつをありのまま、
日本語に置きかえています。

そのままのフランス語だと、日本人のわたしたちには
理解しにくい部分は意訳していますが、脚色はしていません。


わたしがこうやって彼のことばを訳しているのは、
わたし自身がことばの暴力に傷つき、
ずっと精神的な障害を抱えて生きているからかも知れません。

ジズーのように、それでも誇りをもって、自分を信じ、
感謝をして、正直に強くあることができないからでしょう。


興味本位でとか、真実をいまさら知ってどうする、とか、
それぞれのかたの、それぞれの想いがあると思います。
そっとしておいて欲しい、というのも理解できます。
それは最初から想像していたことです。


わたしが興味本位で過去をほじくり返してると思われるなら
それも自由でしょう。

わたしの今置かれている状況をご存じの方なら、
そうでないことがご理解いただけるのではないかというのは、
単なる甘えでしょうか?


すべてをディクテして、日本語に訳すことを、
興味本位でできるほどわたしのフランス語能力は高くありません。

私事ですが、大切なひとも明日、半年ぶりに日本にやってきます。
でも、わたしの人生において重要なことだから、
すこし時間をくれるように、協力してくれるように頼みました。


わたしは、引退試合や栄光を棒に振ってまで大切なものを守り、
そして、まだ記事にはしていませんが、
彼が深刻な問題だと語ってくれたこと、彼が望んでいること、
今後のサッカー界・差別社会に向けて提議していることを、
無駄にせず、ありのままに伝えたかっただけです。

たしかに自分勝手な考えですが、
そう考えるのも、わたしの自由だと思います。

それでブログを読んでくださる方が減ってしまっても、
それは仕方のないことです。

               「学校行かずにフランス語!」より


KiKi

mercredi 22 février 2006

男やもめ。

うちの近所に、「大酋長」というラーメンの
チェーン店があります。

昔引っ越してきたばかりの頃は、
パンチのやせたおじさんが店を切り盛りしてて、
ハッキリ言ってとってもマズかった。

いつの日か、それがおばちゃんに変わってから、
どんどんおいしくなっていったので、
気づいたら常連さんになっていました。


すこし前、そこでモツ煮込みを頼んだら、
思いがけずめっちゃくちゃウマかったので、
「テイクアウトしたいよねー」とふととなりを見ると、
トビの仕事帰り風の、独身風ののおじちゃんも、
モツ煮定食を食べていました。

「ママ〜、ママ〜」と料理中のおばちゃんにくだを巻きながら、
手元ではなにやらごそごそ。

興味津々で観察していると、そのおじちゃん、
カウンターに備え付けのポケットティッシュを2袋ほど
手にとって中のティッシュを全部取り出し、
カラになったビニールの袋に自分のモツ煮を詰めはじめた!
ぽってぃんとふたり、目が点になりました。


どうどうとそれをやってのけるおじちゃん、すごいなあ。
汁がもれやしないか、心配でした。
最後まで見届けなかったけど、2枚目の袋は汁もれ防止?


お店を出てからも、
わたしたちはそのおじちゃんの話題でもちきり。

きっとおうちに帰ってひとりぼっちで食べたんだろうねー。
ちゃんとレンジでチンしたかなあ?
帰りは手ブラだったけど、ポケットに入れちゃったのかなあ・・・

と心配のタネはつきないのですが・・・


でも、ふんぱつしてビールも飲んじゃった♪っていってたから、
きっとゴキゲンだったんだろうね。


「今度来るときはタッパもってこようね。」と
帰り道、ぽってぃんと作戦会議をしたのでした。

なんでこう、日常のくだらない話しかできないんだろう・・・

もうこの際、ブログのタイトルは無視しちゃいます。
ジャロに電話しないでね♪

mercredi 15 février 2006

ともだちがつくった絵本!

今日、大切なともだち C ちゃんからメールが届きました。
共通のともだち U ちゃんが人形作家さんと絵本をつくったらしくて、
3月に東京で、その展示会があるからいっしょに行かない?との
お誘いメールでした。

最近ひきこもってるわたしは、
『東京』という字を見ただけですっかりおじけづいてしまい、
「体調がよかったらぜひ・・・。」なんて消極的な返事をしてしまいました。


わたしがまだ人形を作っているとき、
無名だったわたしの初めてのふたり展からずっと、
毎回個展のたび、ノートに名前を残してくれている女の子がいました。

お客さまはさまざまなので、誰がその子なのかも分からず、
数年後、C ちゃんと知り合って彼女に個展のお誘いをしたら、
「ともだちもいっしょにいくね。
 その子、ChibiRu の個展、毎回見に行ってたらしいんだけど。」
そのときは気づかなかったのですが、実際に会って名前を聞いてびっくり。
それは、毎回ノートに名前を残してくれていた、U ちゃんだったのです。


それからは急接近。
彼女はとてもセンスのいい女の子で、当時はわたしの憧れの
雑貨ショップのデザインなども担当していて、話は盛り上がり、
彼女の力を借りて営業のアポを取りつけ、
そのショップで絵はがきなどをおいてもらうことに。

その後独立してフリーのデザイナーとして活躍していた U ちゃん。
「雑貨に関わる仕事がしたい!」という
わたしのいとこへのアドバイスをお願いしたりもしたのですが、
わたしは体を壊してぱったり仕事を辞めてしまい、
C ちゃんも海外へ旅立ってしまい、みんなばらばら。
音信不通になってしまいました。


で、さっき mixi の足あとをたどって、ある女の子のサイトにお邪魔したら、
偶然にも、わたしの人形作家人生で最初の個展(ふたり展)を
いっしょにやった人形作家、イトウミヨコちゃんの絵本のリンクを発見。
めっちゃくちゃかわいい!

それだけでもびっくりなんだけど、
リンクをたどり Amazon で詳細を見てみると、
なんと、デザインはあの U ちゃんだった!!!
U ちゃんがいっしょに絵本をつくった人形作家さんて、
ミヨちゃんのことだったのね・・・。

これは体調が悪いなんていってる場合じゃない!
こんな偶然のチャンスにふたりに会っておかないと、
もうずっと会えなくなっちゃいそう。
C ちゃんは旅好きだから、フランスにも来てくれそうだけどさ。
(なんて勝手に思ってるんだけど。)


なので、今日からは3月の彼女たちの展示会を目標に、
早寝早起きをめざしてがんばりまっす!

ALPHABET ZOO 伊藤 みよこ / 新風舎

samedi 4 février 2006

バレエ教室にて。

こないだぽってぃんのバレエ教室に行ってきました。
「くるみ割り」の発表会の写真ができたんです♪

プロが撮ってくれてるから、すごくいい写真ばっかりなんだけど、
普通の大きさでさえ1枚700円+消費税だから、
厳選に厳選を重ねないとえらいことになっちゃう。


写真を選び終わって、先生とお話しすることができました。

「フランスに行ってもバレエを続けたいっていってるんですけど・・・」
といいおわらないうちに、「ジェニファー・グーベ!」と先生が即答。

ジェニファー・グーベというのは、パリのオペラ座のエトワールだそうで、
彼女のディレクションしているのが、パリの凱旋門近くにある
GOUBÉ EUROPEAN DANCE CENTER です。
先生は、若い頃にそこに留学していたそう。

そして彼女は、自分のクラスの先生に「日本人」というだけで毛嫌いされ、
注意されるときも汚いものをつまむように腕をつままれたりしていたそう。
クラスに出るのが嫌でたまらなくて、下のクラスに出ていたそうです。


ある日、下のクラスの先生から、
「あなたは力があるんだからここにいてはだめ」といわれて、
自分のクラスに戻った彼女。

ふと「あたしは日本人なのよ!」と開き直って、日本語で怒鳴ったそう。
「どうしてバレエをやっている人間同士がそうやって差別するの!」と。

それからは、つままれながら注意されるのが嫌なら
自分が注意されないようになればいい、とものすごくがんばったそうです。


今ぽってぃんやほかの子どもたち、お母さんたちが尊敬してやまない彼女にも、
フランスでのそんな苦い体験があったのだと思うと、とても励まされます。

彼女はとてもとても輝いている、憧れの女性です。

vendredi 3 février 2006

また来てね、みぃみ。

きのうの夜、のじと彼女の愛娘みぃみが帰ってしまいました。
彼女たちの到着の日まで、ものすごい勢いで急降下してたんだけど
ふたりのおかげで元気をもらっちゃいました。


のじはすっげーいいヤツだったなぁ。
腹を割ってなんでも話せる、若いのに人生経験も趣味も豊富な女の子。
なかなか、探そうと思っても見つからないファンキーなおっかさんでした。
出会いってほんっとおもしろい。

みぃみはもう、存在自体がおもしろすぎる。
間のとり方とか、肝心なところでのはずし方が1歳児とは思えない。
感情表現もことばもオリジナルで、表情がもう最高にかわいかった。
ガキは疲れるので基本的に好きじゃないけれど、みぃみは別格。
フランス人とのハーフだからとか、関係ない!
あいつの魂は100%日本人だもの。ね、のじっこちゃん?
カワイイ写真が撮れなかったのが残念・・・


今回はなんだか生活リズムもめちゃめちゃで、
部屋も狭くて汚くてごった寝状態でした。
精神状態もイマイチ万全じゃなかったけど、
今度はちゃんと居心地よく過ごせるようにがんばるから、また来てね。


P.S. 母子合宿みたいですっごい楽しかったよ!

vendredi 27 janvier 2006

メル友のじっこと、初顔合わせ。

日曜日、のじちゃんがきます。
連泊割引で、ウチに泊まります。

ビジネスの準備でマレーシアに飛んだのじちゃん、
写真見たけど、すごく楽しそうだったな・・・
っていうかのじ、あなたのメール、おもしろすぎ!


トロピカルフルーツたち。うまそー!


ところで。
3歳前のチビもくるから、危険がいっぱいな部屋の中を、そろそろ掃除しよう。
こんなことしてる場合じゃないんだってば。

うーん、掃除とか家事とか、整理整頓はまさに拷問です。
のじちゃんはおおらかなコだからいいにしても、
チビッコのためにもがんばらなくちゃ。

そして、楽しいベビーシッティングが待っています☆☆☆
「クソばばあ」とかいわれなければいいな♪

vendredi 13 janvier 2006

ともだちのつくり方。

前にも書いたけれど、
わたしは、友だちを作るのがとってもヘタクソです。

 参照 ↓↓↓
 「ママ友だちと、離婚について。」


今では親友のMとも、最初のきっかけはとっても奇妙なものでした。

 Mについてはコチラ参照 ↓↓↓
 「ご冥福をお祈りします。」

高校1年のとき、Mはわたしの友だちの友だちだったこともあり、
すれ違うときや、彼女がうちのクラスに遊びにきたときに、
あいさつをかわす程度の知り合いではありました。

黒目がちで、お人形のように愛くるしい顔立ち、
無垢で可憐な印象とは対照的に、ざっくばらんで物怖じしない性格、
ちょっぴり高めのハスキーボイスで面と向かってキッツ〜イことを
平気で言ってのけては、いつも屈託なく笑ってる。

まったく正反対なキャラだったわたしから見た彼女は、
とっても特別な、魅惑的なオーラをはなっていました。


高校2年の始業式の朝、同じ教室に彼女の姿を見たときには、
ホント、走っていって飛びかかりたいほどうれしかった!

(わたしはレズでもバイでも変質者でもありません、念のため)

絶対、絶対、絶対、彼女となかよくなりたーい!!!


そんな強い思いとはウラハラに、男女問わずの人気者で、
いつでも友だちに囲まれて笑っている彼女の輪の中に
入っていって話しかけるだけの勇気を、
その頃のわたしは持ち合わせてはいませんでした。

Mに話しかけるチャンスをうかがっていたある日。
(ほぼ、ストーカーですね♪)

移動教室で、家庭科室か理科室かなんかへ行くことになりました。
わたしは窓側、彼女は廊下側のいちばん前の席に座りました。

チャイムが鳴り、先生がやってくる直前、みんなが席に着いてから、
彼女がひとり席に残ったのを見て、わたしは「今しかない!」と思いました。

突然席を立ち上がり、つかつかつかっと彼女の座っている机の正面に行くと、
彼女のほほを、なんの前ぶれもなく、思いっきりひっぱたきました。


なぜこんな行動に出たのか、いまだに理解できません。
「どうしても友だちになりたい!」と切望する心が暴走したのだと思います。

それだけの勇気があったなら、
友だちの輪の中に入っていくほうが全然楽だったでしょうに・・・。

かわいそうに、彼女は不当な不意打ちを食らい、何が起こったのかさえ
さっぱりわからずに、大きな目をぱちぱちさせました。

そして我に返ったとき彼女は、「そういうコトするひと大ッキライ!」と、
ほほに手を当てながら、クラス全員の目の前で叫んだのでした。

そのあとのことは、さっぱり覚えていません。
わたしの有能な脳みそくんが、これは有害な記憶であると判断し、
永遠の闇へと葬り去ってくれたのでしょう・・・。

それがキッカケで(どうキッカケなのか分からないけど)
わたしたちは、無二の親友になったのでした。


めでたしめでたし♪

(彼女はMですけどマゾのMじゃありません、念のため)

mercredi 11 janvier 2006

ご冥福をお祈りします。

いちばん古くからの親友Mの、パパが亡くなった。
大晦日のことだったらしい。

Mからメールでその知らせをもらった。
少したってからだったから、いろいろと慌ただしかったのだと思う。


とてもファンキーなパパだった。
John Lennon にどことなく似ていたから、
わたしたちは密かに彼を、ジョンと呼んでいた。


ジョンは社長だったから、Mの家はお金持ちだった。
高校1年の頃から、彼女はブランドの服しか着てなかった。
当時の、田舎ものでクソ真面目だったわたしに、
銀座や六本木を教えてくれたのも、彼女だった。

でも、彼女は誇りがひと一倍高かったから、
そういうことを決して鼻にかけたりしなかったし、
口はとっても悪いけど、その分ひとの痛みの分かる女の子だった。

そのうち、彼女はパンクにはまり、ずたずたに裂いたジーンズをはいたり、
古着を着てライブなんかに通うようになった。
今なら、そんな彼女の気持ちが分かるような気がする。


彼女はわたしのお手本だった。

流行を採りいれるのは、いつもいちばんだったし、
ひとと同じでいることを嫌った。
彼女は、何をやっても決して下品にはならかった。
いつでも、ベビーパウダーのような、愛らしい匂いがした。

彼女と仲良くなった男の子たちは、みんな彼女のことを好きになった。
わたしはずっと彼女になりたかった。


わたしが入院するたびに、どんなに忙しくても真っ先に会いに来てくれた。
そう、あのロザリオを持ってきてくれたのも、彼女だ。
口では優しいことをひとつも言わないけれど、いつも本音と真心で接してくれた。

彼女も妹も弟も、交互にNYに住んでいたけれど、
彼女の不在中にも、わたしはたまに彼女の両親の家へ泊まりに行っていた。
ぽってぃんも、ジョンやママにたくさんかわいがってもらったし、
いつも家族のようにしてくれた。


そんなMが、去年の夏に結婚した。

ジョンの病が重かったから、NYで長年がんばって身につけた
デザインの職も辞めて、ジョンの会社を手伝っていた。
結婚するヒマもきっかけもない、と言ってた。

忙しくて、わたしたちは連絡を取り合うこともまれになっていて、
彼の話もほとんど聞いたことがなかった。
それよりも、わたしの体のことばかり気づかってくれていた。
彼女は、自分の苦労話をするのが大嫌いだった。


結婚式当日、久しぶりに彼女の家族にあった。
ジョンは、見る影もなくなっていた。
驚くほど痩せてしまって、ものを飲み込むことすらできない状態だった。

彼女の妹と弟が、変わるがわる世話をしている。
やんちゃだった彼女たちも、ずいぶん大人になったなー、と思う。

ファンキーで豪快だった昔のジョンを思い出して、
わたしはそのまま通り過ぎることができなかった。

そばにいって手を取り、何年ぶりかのあいさつをした。
ママが、「KiKiちゃんですよ、分かりますか?」とジョンに尋ねた。
ジョンはわたしの目を見つめて、一生懸命うなずくそぶりをしてくれた。
わたしは、動揺を隠すので精一杯だった。
彼女が、長い間踏みとどまっていた結婚を決意したわけが分かった。


こんなことをここに書いていることを彼女が知ったら、きっと怒るだろう。

でも、わたしはまだ、彼女に返事を書けずにいる。
素直に、大好きだったジョンへのお悔やみのことばを書こうとするけれど、
ぜんぜんそんなのじゃ間に合わないし、伝えきれない思いがいっぱいある。
ずっとずっとそのことが、ひっかかっている。

彼女たちが落ち着いたら、お焼香しに行こうと思う。