dimanche 19 février 2006
この頃、ふと「いなくなりたい」と思うことがおおくなりました。
自分のことが嫌い。いなくなっちゃえばいいと思います。
でも、昔のように、自傷行為には至らないからまだいいのかな?
それまで依存していたお酒をやめてから。
そしてわたしのこころの闇を、すべてわからないにしても、
わかろうと努力してくれるひとがいて、
どんな理不尽な訴えにもやさしく応えてくれるひとがいて、
おさまったような気がします。
リストカットが始まったのは、やはり高校生の頃。
なぜそんなことをしてしまうのか、自分でもさっぱり分からず、
信頼していた親友に相談したこともありました。
昔から、なにか悲しいこと、いやなことがあると、
せっかく母親が産んでくれたのに申し訳ない、ごめんね、
というのが、真っ先に思い浮かぶ、いちばん悲しいことでした。
でも、早く母親に会いたくて、悲しい顔をして帰ると、
母親はひとこと、
「何があったか知らないけど、
家にまでそんな感情を持ち込むのはやめて。」
悲しみのやり場はありませんでした。
わたしの悩みにも、母親はちっとも気づいてくれず、
自分の部屋で手首を切ってみました。
たらたらと流れていく真っ赤な血は、まるで
わたしの悲しみにかわって体から出て行ってくれるように感じました。
小さな傷だから血はすぐに乾いてしまいます。
なので、わたしはまたちがう場所を切って、
自分の悲しみがどんどん流れていくのを眺めていました。
痛みはありませんでした。こころの傷より、痛くなかったから。
そこに、母がなんの断りもなく、入ってきました。
腕から血を流してかみそりを持ったわたしをみて母はひとこと、
「なにバカなことやってるの?」
そして、傷を処置することも、心配することもなく、
ばたん、とふすまをしめて出て行ってしまったのでした。
それほどショックではありませんでした。
ショックすぎて、麻痺していたのかもしれません。
母に「ここまでつらいんだよ」と気づいて欲しかったのに、
やっぱりダメだったか・・・という失望だけでした。
それからは、深く大きく切る勇気のなかったわたしは、
小さな傷をたくさん作るようになりました。
こころの痛みを、体の痛みでまぎらわせている感覚で。
それも、筋を避けた両脇に、肘に達するまでたくさんたくさん。
「ひとつ、ふたつ、みっつ・・・」とつぶやきながら、
切り込みを入れました。
70,80,90,100・・・
それはだんだんエスカレートして行きました。
その跡はいまだに残っています。
一生消えることはないと思います。
夏は、それをひとに見られないようにするために
人前ではいつも腕を内側に向けていなければなりません。
看護婦さんにも、「線路みたいだねー」と言われてしまいました。
入院しているとき、刃物は持ち込み禁止なので
リストカットやアームカットから
タバコの火に変えた子がたくさんいました。
数年経って再会したひとりの女性、
「こんなになっちゃって消えない・・・
すごく後悔してるのに、またやっちゃうんだよね・・・」と
わたしに腕を見せて話してくれました。
無数のカミソリの跡と、自分で入れた根性焼の跡。
涙が出ました。
彼女はわたしと同じ歳で、同じ歳の子どもがいる、
わたしと同じシングルマザーです。
彼女の日々の苦悶は、本当に自分のことのように分かります。
みなさん、とくに若い女性のみなさん、
こころの傷はいつか癒える日がきても、
体に残った傷は、一生残ります。
って言うのは簡単ですよね。ごめんなさい。
わたしも、自分のこと大切にできないのはいまだに同じ・・・
でも、なぜアームカットをやめることができたのかは、
また今度書くことにします。




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